矢沢分知仙石氏
元和8年(1622年)矢沢氏は真田氏について松代に移り、寛文9年矢沢仙石氏が領主となり 当寺を菩提所とした。矢沢仙石氏は上田城主仙石忠政の子で政俊の弟の政勝をその祖とする。
寛文9年(1669年)政俊が隠居する際に、その領地6万石余の内2千石を政勝に分知することを 願い出て許可されたのが仙石分知矢沢領のはじまりである。その後は矢沢・下郷・赤坂・岩清水・漆戸・小井田・林之郷の内(約半分)の8ケ村であった。領主の館としての陣屋は矢沢におかれたが、旗本である仙石氏は江戸に常住し 知行所へ来ることはほとんどなく、代官をおいて支配した。大名であった本家の仙石氏は宝永3年(1706年) 出石に移封されたが、その分地の旗本仙石氏による矢沢領支配は明治までおよんだ。
2代目以降の墓はもともと江戸にあったが、明治末年に良泉寺裏山にそっくり移転され、現在に至る。
